2017年05月01日

ゴールデンじゃない住人

先日、ある人のツイートを読んで、妙に共感してしまった言葉。

人の言葉なのでそのまま使用することはできないけど、内容は「モノ作りしてる人が生み出している物は永遠に生み出される物ではない」ということ。その人自身もモノを作る人で、周りにいる作家が何人か介護生活に入り、続行できなくなったと。それだけ、環境に左右されあっけなく閉ざされる世界であること。
本人に何かがあれば当然そこで絶たれるし、この人の書いていたように身内の事情であっけなく制作できなくなる。

私もギャラリーで個展を開催した時に帰り際にお客様から「来年もやるわよね?」と声をかけられ、その度に答えに詰まった経験がある。「うー…そうですね…どうでしょうか…」とかモゴモゴ言いながら、何ともやりきれない気持ちになった。個人で作っているものは、本人しかやる人間がいないという部分で、本当にあっけなく続行できなくなるものであるということは、自分は理解していてもそれを前面に出しながら活動する人はまずいない。内心、そういう事情を抱え「次はできるかな?」と感じていてもだ。
私も「そうですね、またやりたいですね」という希望を伝えるのが精いっぱいで約束のように聞こえる「またやります!」は口頭ではいつも言えなかったように思う。伝統を引き継ぐとかそういう世界でもないし、本人が作れなくなったらそれでおしまい。

「うちの店が明日どうこうなっても大した影響じゃないよ」
結構前に個人で小さなお店を営む古い友人が何気なく言った言葉。その会話自体はそんなに重苦しい場面ではなかったけど、言葉の中に含まれる意味は、店の小ささとは比較にならないほど重くて未だに覚えている。
お店はまだ経営しているけど、その言葉は毎日更新され続ける。
確かに個人でやっていることは小規模で影響力が小さいのかな?と思う。しかし、それだけあっけなくある日突然、永遠に消えるもので「次」とか「明日」とか「来年」という言葉は、途方もなく高い壁なのかもしれません。

私達も15年やってきて更に15年後っていうのはちょっと想像しにくくなってきて、単純に年齢の問題もあるけど、自分や親の老いというのが確実に迫っているということを忘れてはいけないなと。みんな通らなくてはならない道を避けることはできないし、1日でも長く自分の手から生み出せる物を生み出していきたいなとその人のツイートや友人の言葉を思い出して改めて感じました。

んでもって、後悔したくないから元気なうちに作ろうと思って準備している物の構想を姉に電話したら例の「頑張って下さい」に続いたわけです(詳しくは前のブログをご覧ください)

そういう流れよ。
まぁ、これでも結構真面目に色々考えてはいるけど、眼鏡の鼻パッドは相変わらず見つからないし日常はホント冴えないわよ。何で急に「よ。」を多用してるのかよく分からないけど、そうなのよ。
冴えないから、ゴールデンウィークも黄金率低めよ。

皆さんは、キラキラゴールデン?
それとも、金ぴかゴールデン?
落としたのは金のゴールデン?銀のゴールデン?

はぁ…また下らないことを書いてしまったよ…。

以上、黄金率低めの人のぼやきでした。




posted by mizuame at 20:44| 納品・展示会情報、制作について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする