2017年05月03日

言葉遊びから想像が膨らむ瞬間

こんにちは。黄金週間いかがお過ごしですか?

最先端(??)のインスタやらツイッターを操る姉に負けじと鼻息荒い時代遅れのブロガーみずあめ妹でございます。

ワタクシ、こう見えまして結構文章を書くのが好きで、あんなことやこんなこと…あることないことあまり脳みそを使わずに書く人です。因みに幼少時に本あんまり読んでいませんが、作文とかレポートとかもあることないこと書いて合格もらってるようなタイプの子供でした。

それで、その名残なのか分かりませんが、絵を描く時に映像のイメージではなく「言葉」が先に浮かんでその言葉のイメージで下絵を描くことがたまにあります。下らない言葉遊びだったり、初めは特に意味を含まない独り言のようなそれらを視覚的表現に変換すると滑稽なものに仕上がる。

例えば、OW−6の「ピーナッツ・レター」。
全く予測不能な瞬間にこの言葉が頭に浮かびました。次にピーナッツが片手に手紙を持って歩いている、という絵が浮かぶ。道の向こうから普通に歩いてきます。ピーナッツが。その絵を紙に描く。こんな感じです。
大丈夫ですか?皆さんついてきて下さいね(笑)
「ピーナッツ・レター」という言葉は多分、ピーナッツ・バターからきていると分析しますが、ピーナッツの手紙の封はきっとベタベタしてるし、開封すると別に何も書かれていないんじゃないか?とか、色々想像して楽しみます。どのように想像して頂いても構いません。この絵は姉もお気に入りで、あまり頻度は多くありませんが、たまに妹が制作すると大変喜んで色々想像しながら組み立てるそうです。

せっかくなので、インスタで紹介している「占い師」についても今日は詳しく書いてみます。
CUBEや額絵に登場した「占い師」。言葉の次に浮かんできたのが、動物の占い師。
占い師にはその続きがあり、彼らを前にした時の自分の心境や台詞、そんなところまで想像が膨らんでいました。

占い部屋の扉を開けた先にあんな占い師がいたら…どんなに滑稽だろう?
とりあえず、予定通り自分の悩みを打ち明けたりするのだろうか?
助言は、きっと共通言語を持たなくて理解できないだろうけど、占い中だから離席するのはやめておこう。
いつ、どのタイミングで帰ろうかな?とか考えてちょっと変な汗も出てくる。

きっと占いというのは救いを求める行動であり、この部屋を訪れた私は実際に問題を解決することを期待しているのではなく「解放」が目的であろう。
だとしたら、会話も成立しないような人間でもない占い師と対面したら、そのことの方が気になってしまい、最終的には肝心な悩みを忘れて帰るのではないのか?

この「占い師」のシチュエーションでは、「ナンセンスなことは、必ずしも人を不幸にするものではない」と想像の中の彼らと対面した私は決着がついて力強く占い部屋を出ることになります(人それぞれ、考え方や感じ方は違うと思いますが…)
動物の姿というのは珍しく自分の中では意味のあることで、本能に従い自然に暮らす動物たちにとっては、食べること、眠ること、繁殖することこそが日々必要なことで、とにかくそこにファーカスして暮らしている。それは、複雑な社会の中で生活している私達人間が忘れがちなとても大事なことで、もしも動物たちに私達の悩みを打ち明けたら、彼らはどう思うだろうか?

「…それで?今日のご飯は見つかりましたか?」

動物たちから感じる逞しさに触れて自分の小ささを自覚する。実際に言葉が通じなくとも、その姿から気づかされることがあるのなら、奇妙な姿の占い師は救いを与えてくれる存在なのかも。
可愛いから、綺麗だから、というのも大事な要素かもしれませんが、自分の物差しの長さ、遠くの方ばかり見てしまう視線を手前に調節してくれるものというのは何であれ有難い存在なのだと思います。

どうですか?占い師たちと対面した自分の姿、少し想像できましたか?

今日は言葉がきっかけで誕生した「ピーナッツ・レター」と「占い師」についてご紹介しました。






posted by mizuame at 16:46| 納品・展示会情報、制作について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする